記憶の風景を死滅させ 網膜上の物体を凝視せよ
何処にでもある風景とは、 あいまいな記憶による、ねつ造であり 現実には、存在しない。
時間と物体で構成される風景は、ただひとつであり 写真は、それを証明する。
複製技術の発展から、統一されたイメージが構築→増殖→記憶され続けた。 操作されたイメージは、写真を監禁し自由を奪った。 写真は、この状況から解放され本来の機能を回復せねばならない。 カメラのように写真を見るのだ。
記憶のイメージを捨て去り、目の前の物体を見るのだ。 そこには、完全なる風景が現れるだろう。