

![]() |
![]() |
![]() |
| 二人の少女が腕に点滴を打ちながら、大樹に寄りかかり、いつ死を向えるか、不安な日々を描く。自殺を呼びかけるネットや自殺志願の少年少女が、以前より急増し、社会問題となっている日本。 死への憧れや、社会との接触を拒む少年少女の視線を感じる篠原愛の作品は現代社会の中で「喪失する自己」あるいは「巡礼者」のように、不安で甘味な世界を描いている。少女たちの浮遊する視線、けれども画面の色調は明るく、そばにはぬいぐるみ、たばこ、携帯電話やお菓子とありふれた日常品が散乱している。その手法は装飾的で、フランドル絵画のヤン・ファン・エイクやピーテル・ブリューゲルのように、細部にわたって綿密に油絵で描かれている。戯れる少女の視線は、何かに光を求め、何かに哀願するかのように、心の奥から痛々しく感じる。抑えることのできない感情、引き裂かれる精神、自己愛の中でやすらぎ、神秘的にも見える。またある絵画では植物が身体中に根をはり、その根から血液が循環し、大地と連鎖している。観賞魚の金魚は少女の身体に属し、金魚は血液=生命のメタファーとして見るものに生の儚さを伝える。東洋的な死の解釈では輪廻転生という思想があり、死は決して不幸な終わりを意味する出来事ではなく、死することで生まれ代わり、他の生命に宿すと信じている。植物や金魚は自然を意味し、死も自然であり、死を受け入れることで、現世の苦悩から救われると信じている。こうした輪廻転生の世界では死への恐怖は克服され、死を克服することで永遠の生命を受ける、つまり生きていることの不幸や、悩みは消えうせて、悟りを開くと仏教の世界では考えられている。ゲームの世界では死は何度も再生(リセット)でき、バーチャル・ファイターは悪の世界と戦い続けることができるが、このアニメのゲームもまた仏教思想から基づくものと解釈するのは無理な話だろうか。しかし実際日本の女子高校生が校内で友人を殺害し、事件となったことがあるが、彼女は<再び友人が生き返ると本当に信じていた。 上田雄三(Gallery Q: director, curator) |