GalleryQ/QConceptinc
>> Q_HOME >NEWS (Challenge Art 2012)
Exhibition Now Exhibition Archives Schedule Reservation Links Past Projects



展覧会

Challenge Art in Japan 2012
チャレンジ・アート・イン・ジャパン2012
韓国人留学生による現代アート展

開催期間

2012年11月6日(火)- 11月17日(土)
10:00-17:00 日曜日 開廊

Exhibition Archives

主催

駐日韓国大使館 韓国文化院 
韓国文化院 ギャラリーMI  (入場無料)

キュレーター

上田雄三(多摩美術大学 芸術学科 非常勤講師)
運 営: 有)キュウコンセプト/ギャラリーQ

企画趣旨

この度「チャレンジ・アート・イン・ジャパン2012」が開催されるはこ
びとなりました。 本展覧会は日本に在住する韓国からの美術系大学に留 学をされている学生を対象として選考いたしました。 日韓両国の歴史は芸術・文化の交流を通じて育み、互いの文化に触れ合 うことで多くの知識や英知を学んできました。東京美術学校(現東京芸 術大学)に朝鮮から最初の留学生、高義東(1886-1965)が西洋画を初め た時期、1910年は日韓併合条約が締結された時期と重なります。 当時朝鮮半島から多くの若者たちが日 本に留学し、その後韓国に帰国し
韓国近代美術の礎(いしずえ)となりました。現代においても日韓両国だ けでなく、世界の美術史に多大な影響を与えたのも韓国人の留学生た ちです。本展覧会は多摩美術大学、武蔵野美術大学、東京芸術大学、女 子美術大学、東京工芸大学に在籍する現役の留学生たちによる展覧会で す。彼等も再び祖国に戻る日が来るかもしれません、この地にて励んだ 成果を韓 国文化院ギャラリーMIに一堂に集めて、今後毎年開催を予定しておりますので、是非ご高覧ください。
(文責:上田雄三)

会場風景

リンク

Art Works

Lee Seunghee

李承禧/イ・スンヒ


東京芸術大学美術研究科大学院先端芸術表現博士1年在籍




私の作業の中で「Must have Item」の意味と言うのは、「必ず持ってい なければならない品目」という意味で、ファッション雑誌によく使われ られる用語だ。 しかし、単語の意味は違い、特に各種アクセサリーや 鞄、化粧品、香水などに使われる。それで、生活必需品というより、富 と虚栄のために存在するアイテムに近いと思う。この用語は、マスメデ ィアから受け入れる姿が、理想的・主観的な判断だと言うより、広告の 中でスターが作られたイメージと自分を同一視しようとする欲望をよく 現れる。欲望は、人間が他者を認識する能力を身につけ、社会生活を営 んでいくうちに、「誰かから認められたい」という感情を抱くようにな る感情の総称を承認 欲求という。
今回の展示では 数多くのオブジェが散りばめられている。博物館の肖像 画が、同時代から羨望の的となるのと同じように、 現代である 羨望の 的になる広告のイメージをコラージュし、額の中に入れ実存しない虚像 を話し たい。 人間の欲望は、ひとつが満たされると、また他の対象へと絶えず続いてゆき、欠けた甕に水を流し入れ 続けて満たそうとして
も、依然としていっぱいにならないように、人間の欲望も永久に満 たされることがない。


Artist_CV >>

Son Woojin

孫 ウジン (ソン・ウジン)


東京芸術大学大学院デザイン1年在籍


私は偶然の方式を楽しみます。素材、材料の目的を超越するとか、形態のもう一つの可能性を探求することが 好きです。 Frofloは他の作業のために準備した材料で偶然に作られたモジュールです。Fro FloはFrom Flower、 またはFrom Floor二つの意味を持った作品です。私に花は形としても記憶されるが、「花は折るのではなく、見 ることだ」という言語として記憶される側面がもっと大きいと思う。 この言語があるから花という意味が私にも っと大きく近付くのです。Fro Floも花の形を似ていますが、もう一つの言語として人に記憶されることを望みま す。From FloorのFloorは底という意味です。モジュールには偶然の結果物以外には何の意味も作りたくなかった。 floorから何かを作って行きいと思います。偶然に誕生したモジュールを利用していろいろな話を作って行きたい ということでFrofloという名前を付けました。
 「美しい若者は偶然の産物だが 美しき老人は芸術作品。」Eleanor Roosevelt
Fro Floは偶然に誕生したモジュール、まるで私の若さの同じです。これらが作って進む話を期待します。

Artist_CV >>

Paik Inhye

白寅惠(ペク・インヘ)


多摩美術大学大学院博士後期課程美術研究科3年在籍


窓から見える自然は、内部と外部の関係性をより一層浮上させる。窓から見える風景は、まるで写真を撮るかの ように頭の中に入力されて残っていたり、部分的なパズルのように組み合わせられたり、またいくつかは消えた りする。窓を通して繰り返される思惟は、私自身の作業と多くの連関を持ち始める。そして自然風景のシリーズは 思惟の結果物である。

<流れる>の作品は、船を乗って直島を行く途中、見える海の風景をシリーズで描いた作品です。<流れる>この作 品はパノラマ形式で制作され、少しずつ時間の間隔を置いている。特に、船が水しぶきをあげて海を横切って行く 様子を描いた 作品<流れる>は、白黒で制作し、移動する速度感と時間性に重点を置き表現している。窓に見える 風景を頭の中に残しておいたのと同じく、海の風景は一場面一場面を残しておくことで、時間の差を感じることが できる。また作品を鑑賞する観覧者も右側から左側、あるいは左側から右側へと視線を動かしながら鑑賞するので、 鑑賞者の現在の時間と作家の過去の時間が重畳され、より大きなシナジーを起こす。

私の作業はキャンバスを一つの物質として見ることから出発する。したがってキャンバスは世の中を見る目となり、 目に映った世界を一つずつ広げる意味を持っている。そのため作業をする前にも、作品が完成した後にも、多くの 時間性と空間性が存在し、キャンバスの中と外で互いに移動し、互いに補い合っている。<流れる>シリーズ 作品の前に立っていると、海の只中で船に乗っているような気分になる。目を右側、左側へと移し、キャンバスの 中の世界と共感し共有できる時間を付与する。

Artist_CV >>

Lim Jihye

林智慧/イム・ジヘ


女子美術大学芸術学部立体アート学科4年在籍


「もつれる」という言葉。私は本当に否定的に聞こえる。まるで歪むという言葉のように。しかし、人生とは、 もともとそのようなものだ。1分1秒でもストレートに行くことを見たことがない。きっちりと計画を立ててお いても、誰かが悪趣味ないやがらせでもするように、ここでいきなり向こうでいきなり日常を穿る事が起こる。 その時には、本当に漫画のように私の脳内にもつれた糸が多く入っている感じだ。ストレスを受けた私は狂っ た女のように髪の毛を乱れさせるだろう。しかし、そのような突発イベントでもなければ鼬ごっこのような人 生が面白いはずがない。織られた通り歩いていく人生なんて。容易だろう。しかし、つまらないだろう。それ でも計画がもつれることがまた愉快なものではない。あ!アイロニー!このようだから、現代人が簡単にスト レスに負けてしまうことである。ジェットコースターに乗ってあちこちに曲がって縺れたトラックをたどり、 音を叫ぶと歪んだ日常で受けたストレスは、すでに消えている。さあ!乱れの中に飛び込んでみよう!もつれ るという言葉が悪いだけではない。その歪みの中で新たな道を発見するかも分からない。


Artist_CV >>

Eum Haeran   

厳慧蘭 (オム・ヘラン)


多摩美術大学大学院美術博士後期課美術研究科3年在籍


私は不確実な記憶に魅力を感じ、それを表現する。わずかな記憶に想像が加えられ、
実際より強い生命力を持つ 物語として存在できるからである。そしてそれを表現す
るということに大きな興味を持って制作している。

「ある日、私はもう思い出す必要ない記憶をすてることにした。
忘れようとしても忘れられなかったあの記憶を。」

ー制作ノートの中からー

Artist_CV >>

 Kim Chunglim

金青林(キム・チョンリム)


多摩美術大学大学院美術研究科彫刻専攻2年在籍


Kim Jaehong

金宰弘(キム・ジェホン)



多摩美術大学大学院博士後期課程
グラフィックデザイン領域在籍


Sustainable Development、つまり「持続可能な開発」という考え方は、環境保全についての基本的な共通 理念として、国際的に広く認識されています。これは、「環境」と「開発」を、互いに反するものではなく 共存し得るものとしてとらえ、環境保全を考慮した節度ある開発が可能であり重要であるという考えに立つ ものです。その概念に基づき、リサイクルを訴える広告ポスターをシリーズで制作しています。自分が制作 したビジュアルを通して積極的に社会的メッセージを発信していくのがデザイナーとして社会的責任ではな いかと思います。


Artist_CV >>



Park Bokyoung

朴甫耕(パク・ボキョン)


武蔵野美術大学大学院版画コース2年在籍


「旅行」をテーマに制作している。楽しかった旅行の時の写真にうつる私の姿を世界地図の形態で制作している。 幼い頃、地図を広げてどこにどの国があるのか当てるゲームが好きだった。まだ足を踏み入れたことのない広大 な世界に夢を膨らませる。 変化を夢見ながら旅に出る。日常から発って、不慣れな世界の中で世の中を新たに読 む方法を学び、自分の中で世界を再構成している。

版画は制作において最後の最後まで結果に対して確信することが出来ません。いつも期待と不安とともに制作し 始めます。山登りで頂上に到達するまでの過程と忍耐、到達した時の達成感は版画制作と近いものがあります。 作品が完成するまでの道のりは厳しいですが、プレス機を通った作品をめくる時に挑戦したものしか得られない 快感を得ることが出来ます。 旅行も同じだ。制作とは未体験の世界をときめきと不安の入り混じった中で、偏 見や不慣れな外国での生活という壁にぶつかった時の感情を私の生に溶け込ませ、成熟化させる過程です。


Artist_CV >>

Lee Wonsuk

李元淑 (イ・ウォンスク)

多摩美術大学大学院博士後期課程美術研究科在籍


顔の表情を通して、現代人の心を癒していくことができる絵を描いていきたい。常に変化し続ける人間の内面世界
に興味を持って、その中に内在する葛藤を癒していくことができる、アーティストとになりたい。作品を通して人
間の多様な内面世界と、葛藤を伝え、作家自身と鑑賞者に自分なりの治療法を捜し出すことができるように願う。
私にとって芸術は幸せになるための一つの方法であり、生きる理由である。



Artist_CV >>

Lee Yoonji

李ユンジ (イ・ユンジ)
女子美術大学大学院博士課程美術研究科
美術専攻視覚造形1年在籍


時間は、流れる。

その時間の中で、私も、あなたも生きている、ここに存在していると言う現在感が掴めることは、正に写真の魅力
であろう。ファインダーの中に捉えられている現在を、“シャッターを押して残す”、その意識が15年もカメラ
を手に持っている理由になっていた。

東京で生活する外国人留学生たちをモデルとして、彼等の日常生活に見るプライベートな姿をカメラで撮り続けた。
外で飲んだり、食べたりしている姿を自由に撮って、その個々が示す日常の様子を掴もうとした。つまり、パブリ
ックな空間でのプライベートな様子を見せる瞬間を捉えること。

その作業を通じて、東京という限られた空間に置かれているフォリナーの寂しさ、戸惑いの雰囲気を捉え、その人
が醸し出すストーリーをイメージさせることをコンセプトとした。

また、単にポートレート写真として撮影したものではなく、東京という、大都市の中で、外国人にとっては何とな
く異国的と感じられる場所を選び、外国人の目で捉えた情景として表現したものとなり、東京のランドスケープを
表す、一つの見せ方だと考えている。


Artist_CV >>

Bae Joonjik

峻稷(ベ・ジュンジク)



東京工芸大学写真学科4年在籍


「人」という文字は「男」と「女」がお互いに支えてくれる姿を文字で表したものであり、「人」という文字 によると人は一人では足りない存在である。男女、ふたりが合うことによってはじめて「人」という文字になる。 「人」、ふたりの調和の力という観点から「もう一人の私」の表現は始まる。夫婦はどのぐらい似ているかを 写真で表現しようと思い、20 代の若い夫婦から80 代の老夫婦までの写真を撮り続けた。  「夫婦はなぜ似るのか?」私の考えは違う環境で育てられたふたりが同じ環境で生活しながらお互いに助け 合ったり、足りないことを満たすために共にすることによって、お互いに合わせることによって似ていくので はないか。撮影の中、ある夫婦はお互いに似てないと強く否定した。もちろん、冗談であった。「夫婦という もの、相手を選ぶときに自分とは全く逆の遺伝子を選ぶ」という旦那さん、奥さんは「結婚前から似ている相 手を選ぶ」と言った。何が正しいかは分からないが夫婦の写真を見ると長い時間一緒に生活した夫婦がもっと 似ていることは確かである。

  一人の男と一人の女があって夫婦になることは一人だけでは不十分なものであり、完全ではないことである二人 が心を合わせて一つのものになることを意味するではないだろうか。「もう一人の私」で私が表現したかったの はただの似ることではない。穏やかな夫婦の姿の中で表れる夫婦の愛や尊敬や信頼などによって夫婦が似ていく 不思議な力を表現したかった。


Artist_CV >>

Kim Sohee
金昭希 (キム・ソヒ)


多摩美術大学大学院博士後期課程美術研究科1年在籍


私は自分の経験を基にして現代人が日常生活の中で感じる矛盾や疎外感、孤独、苦痛などをユーモラスに表現 しています耐え難い状況であっても我慢して生き抜くしかない現代人に機知を発揮して日常に対する新しい見 方と新鮮な感性を与えたい思いで制作しています。

出品作である「Rubber Necks」は日本語で‘野次馬’を意味します。この作品は事故現場に集まった野次馬を 描いています。洋服の輪郭に似た白い線は交通事故の現場でよく見かけるものであります。私は人の代わりに 社会的人格として服を描いています。洋服の輪郭は不幸の痕跡なのです。他人の不幸な出来事を見つけてつま らない日常生活からちょっとした楽しみというか、おしゃべりのねたを得ようとする人々の酷な野次馬根性が 露になる場面です。同じ服装と顔をしている人物は個性をなくした現代人の姿であります。

ユーモアは重く感じられかちの主題を人々が受け入れ易くする接着剤の役割をします。それによって我々は逃 避ではなく遊戯という道具を通じて現実と向き合うようになると思っています。私はこのような作品を通じて 厳しい日常を生きる現代人へユーモア交じりのエールを送りたいと思っています。


Artist_CV >>

Lee Zegan
李在光 (イ・ゼガン)

多摩美術大学絵画学科油画専攻4年在籍


人間というのは在りません。
私は人間という観念を壊すために人間を描きます。
私は雑誌、新聞、ネット、自分で撮った写真等からランダムに人物の写真を選び、
それを見て絵を描きます。 写真を見て描く理由は時間という要素を排除するためです。
私は刹那の人間を描きます。
私の絵に登場する人間は性格、思想、国籍、職業等、アイデンティティというもの
を持っていません。 そういうのは心という動きが存在し、その動きが時間という
物を作る時に限り、存在出来る物です。
私が描く人間は心が止まっています。
何も欲しがっていないし、何も怖がっていません。
誰でもないし、何もやっていません。
その瞬間そこにただ存在するだけです。
そこには個体という観念はありません。
人間という境界はありません。
我々は人間ではないです。

人間というのは在りません。


Artist_CV >>